tatykissing's diary

t.A.T.u.と七海春歌ちゃんが好き。

t.A.T.u.のリェーナについて語るよ!(t.A.T.u.の解説もします)

好きなキャラ #YOME_LOVE Advent Calendar 2013

(昨日のglayglassforestさんの義朝ちゃん語り熱くてとても良かったです。「平清盛」見てみよう……。)


はじめまして。好きキャラを語るアドベントカレンダーの本日12/10(と12/12)を担当するあか(tatykissing)と申します。今回はよろしくお願いいたします。
最初に長文になってしまった事とぐだぐだな文章になっている事を謝っておきますね……。それでは長いですがよければお楽しみください。


【はじめに】
今年の10月17日に、こんなイベントが秋葉原で行われました。
 【イベントレポート】t.A.T.u.、秋葉原に降臨|BARKS音楽ニュース
動画はこちら。

(内田祐也の存在感)
この記事を見て懐かしーwと思った方。誰これ?と思った方。色々な方がいらっしゃるかと思います。
今回の記事で私が語るのがこのスニッカーズのCMに起用された音楽ユニット、t.A.T.u.リェーナです。サムネの左側の女性です。真ん中は同じくt.A.T.u.のメンバーであるユーリャ。右端にいるのは内田裕也(※t.A.T.u.ではない)す。


t.A.T.u.の概要】
t.A.T.u.というのは2000年代初頭に世界で大人気となったロシア発の音楽グループです。黒髪ショートの女の子と赤髪ウェーブの女の子が制服姿でキスする映像を覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。


Ya Soshla S Uma (RU) - YouTube
(多分一番有名なPV「Я сошла с ума」。かわいい)

おそらく、t.A.T.u.を覚えている人はこの様なレズビアンパフォーマンスや、ドタキャン行為が印象に残っていると思います。ではこれらのパフォーマンスやドタキャンがどういう意図で行われたのかも含め、まずt.A.T.u.の概要を語ります。
(でも概要はとんでもない長文になってしまったので、読むのがめんどい人は少し下の年表を見てくださるだけでも大丈夫です……概要の文章は後々適宜削りたいと思います……)

1999年ロシアでt.A.T.u.は結成されました。
よく勘違いされていますが、t.A.T.u.のメンバーはボーカルの女性2人だけではありません。プロデューサーや作曲家作詞家その他活動に関わるメンバーを合わせてt.A.T.u.という名称で呼んでいます。というかt.A.T.u.とは元々、初代プロデューサーであるイワン・シャポヴァロフが考えたプロジェクトの名称でした。イワンはロシアで音楽プロジェクトを立ち上げ、当時13歳だった2人の少女、リェーナ・カーチナユーリャ・ヴォルコヴァをスカウトします。その後でイワンは過激でキャッチーな路線を目指し「レズビアンの破天荒な少女2人組」というコンセプトを打ち出し、その様な演技を2人の少女に指示しました。つまり初期のt.A.T.u.はイワンというプロデューサーが台本を書いてお芝居をしていた様なものだったと言えるでしょう。ボーカル2人は契約の際にイワンの指示に従うとの誓約書を書いていました。

2000年になるとt.A.T.u.ロシアで大ヒットし、すぐに海外展開を視野に入れて英語版のアルバム制作を始めました。

2002年になるとすぐにt.A.T.u.世界で注目される様になり、順調に快進撃を続けます。しかし、売れてはいてもt.A.T.u.内部ではいろいろな問題が生じていました。
プロデューサーイワンはますます過激なスキャンダラス路線t.A.T.u.の舵を取ろうとしました。またギャラをきちんと支払わない等の問題行動も増えました。結果それに反発した多くの主要なメンバー達がt.A.T.u.を去ることになりました。

そして2003年になると日本にもt.A.T.u.ブームがやってきました。しかし多くの日本人は知る由も無かったことですが、その頃のt.A.T.u.はほとんど崩壊しかかっていました。やがてロシアやその他の海外で、t.A.T.u.のコンセプトは事実ではないという情報が徐々に広まっていく事になります。また、この頃からイワンはボーカル2人にドタキャン行為を指示する様になり、結果あの有名なミュージックステーションドタキャン事件(Mステ冒頭には出演したものの歌わなかった事件。詳細はググってください)が起こりました。その後日本でのt.A.T.u.人気が乱降下したことは言うまでもありません。当時を知っている人なら特によくご存じでしょう。

2004年、徐々に人気が落ちていくt.A.T.u.に決定的な出来事が起きました。ボーカル2人がイワンとの契約を破棄したのです。前々から2人は弁護士と相談をしこの話を進めていたとのことで、その模様はロシアのドキュメンタリー番組でも放送されました。この事態に、結局スポンサー達はイワンを解雇しました。この時点でt.A.T.u.は一度瓦解する事になります。しかしすぐにスポンサー達はボーカルを含めた主要メンバー達を呼び戻し、t.A.T.u.は再結成されました。イワンを解任した後のt.A.T.u.ボーカル2人をメインとしたセルフプロデューススタイルに移行し、それ以後はドタキャンやレズビアンパフォーマンスをする事なく活動を続けました

そして2011年、ボーカル2人のソロ活動に専念したいという意向を汲み、t.A.T.u.は解散しました。

↓というわけで、t.A.T.u.の年表を簡単にまとめるとこうなります。↓
1999年 ロシアでt.A.T.u.結成。
2000年 t.A.T.u.大人気になる。
2002年 プロデューサーイワンの行動(過激なパフォーマンスの指示・ギャラ未払い)に反発したメンバーが次々とやめていく。
2003年 日本にt.A.T.u.上陸。イワンは日本や世界各地でボーカル2人にドタキャン行為を指示する。
2004年 ボーカルのリェーナとユーリャが契約を破棄し、t.A.T.u.空中分解。スポンサーはイワンを解雇。去ったメンバーを呼び戻しt.A.T.u.を再結成させる。
2011年 解散を発表。

重要なのは初期のt.A.T.u.と後期のt.A.T.u.では全くコンセプトが違うという事です。
初期のt.A.T.u.はイワンの意向によりスキャンダラスで過激な路線で活動していましたが、イワン解任後はその様な路線では活動していません。
レズビアンパフォーマンスやドタキャン行為は全てイワンの書いた台本に沿って演じたものです。なのでイワン解任後はそれらのパフォーマンスは一切しなくなりました。
そもそもロシア本国では当時からその様な状況はワイドショー等で暴かれていたのですが、日本ではその様な情報が全く伝わっていなかった為、あの様な大きな事態に発展したのでしょう。まあロシアでの情報なんて手に入りにくいですから仕方な いですけど。こんな事言ってる私も当時は何も分かっていませんでした。

t.A.T.u.の魅力】
以上がt.A.T.u.の概要になります。駆け足ではありますが、当時のスキャンダルについては一通り説明出来ているかと思います。
とはいえ上記とは矛盾するようですが、t.A.T.u.が初期から現在まで変わっていない部分もあります。それが楽曲のクオリティの高さです。
そもそも初期に楽曲制作に携わったメンバーは再結成時にほとんど戻ってきている(もちろん戻ってこなかったメンバーもいます)から当たり前ですが、楽曲の方向性は決してぶれていないので、初期の頃の楽曲が好きな人には安心してイワン解任後の楽曲にも手を出してもらいたいと思います。

さて、t.A.T.u.は驚くことにアルバムを3つしか出していません。
しかしそのどれもが圧倒的な熱量を持つ怪作です。というわけで公式PVがyoutubeにいっぱいあることですし簡単に紹介します。 

1stアルバム 「200 по встречной200 Km/H in The Wrong Lane」
言わずとしれたデビュー作です。このアルバムはどれをシングルカットしても売れるだろうというキャッチーな曲で溢れています。
最初の方で紹介した「Я сошла с умаAll The Things She Said」が一番有名でしょうが、もう一つ1stアルバムから私のお気に入りの曲を紹介します。

t.A.T.u. How Soon Is Now - YouTube
(オフショット映像なのが逆にもの悲しい)
有名なザ・スミスのカバー曲「How Soon Is Now?」です。オリジナル版は静かで鬱屈とした怒りを表現しているという感じですが、ユーリャの叩きつける様なシャウト、リェーナの暗く苦味に満ちた低音は、この曲のまた違った魅力を提示してくれています。

2ndアルバム 「Люди инвалидыDangerous and Moving
再結成後に作られたアルバム。1stアルバムからより一層深みを増した一枚となっています。私はより暗く、憂いを増した様に感じました。ここではアルバムタイトルにもなっている一曲、醜悪な人々を歌詞で表現しながらPVでは迫害されるマイノリティを映し出している「Люди инвалиды」を紹介します。
(※ちょっとエロいので注意※)

t.A.T.u. Lyudi-Invalidy - YouTube
(日本人っぽい中年カップルが気になる)
リェーナとユーリャが迷い込んだマイノリティの世界で見たものとは。リェーナの張り詰めた弦の様な歌声とユーリャの暗鬱な歌声が光っています。本当の「Люди инвалиды(欠陥人間)」とはどんな人間達なのか?と考えながら聞くととても楽しめると思います。


3rdアルバム 「Весёлые улыбкиWaste Management」
そして最後のアルバムとなったのがこちらの「Весёлые улыбкиWaste Management」です。まさにt.A.T.u.の集大成と言える一枚です。矛盾している様ですが、暗鬱でそれでいてどこか明るい曲が収録されている本作は、いわゆるスルメアルバムで聞く度に味わいが増していきます。とあるレビューで「夜明けの光の様だ」と称されていたのが印象的です。
ここでは3rdアルバムからのファーストカットとなった「Белый плащик」を紹介します。
(※ちょっとエロいので注意※)

t.A.T.u. White Robe (Beliy Plaschik) (RU) - YouTube
(とにかくエロい。そして暗い)
妊婦が銃殺される(しかも冤罪臭い)というハードな作品で、非常にt.A.T.u.らしいと思う曲です。t.A.T.u.はこのような衝撃をずっと提示し続けてくれました。PVのインパクトのみならず、メロディや交互に展開されるリェーナとユーリャの歌声等、ファースカットとしてとても素晴らしい一曲だったと思います。

――以上3枚のアルバムの簡単な紹介でした。気になったものから聞いてみてもらえると嬉しいです。また日本でCDを手に入れるのは割と面倒なので、購入したいと思った方にはiTunesで買われる事をおすすめします。

【リェーナ・カーチナについてとその魅力】
はい。はい。前置きが恐ろしい程長くなりましたが、この企画は好きなキャラ、人物について語るという企画なので、迷いましたがここからはt.A.T.u.のボーカルの1人であるリェーナ・カーチナについて語ろうと思います。赤髪の方です。ちなみに黒髪の方はユーリャ・ヴォルコヴァと言いますのでこちらも合わせて覚えていてくださいね。

リェーナは1984年10月14日ロシアで生まれました。作詞家の父の元に生まれた彼女は8歳になるとロシアの児童音楽グループに入団し、しばらく活動を続けた後、t.A.T.u.のプロデューサーイワン・シャポヴァロフに見出され、t.A.T.u.のボーカルとなります。そして紆余曲折ありつつt.A.T.u.として活動した後、現在はソロアーティストとして世界で活動しています。ちなみに最近結婚しました。リェーナのソロ情報は公式に承認されている日本のファンブログを追うのがおすすめなので紹介しておきます。こちらです→Lena Katina Japan | Facebook
では略歴はこのくらいにしてリェーナの魅力を3つに分けて語っていこうと思います。

【第1の魅力 真摯な人柄!
チャーミングな顔立ちからも察せられる通り、リェーナはとても暖かい人です。ファンには常に優しく接してくれますし、先の東日本大震災の際には震災孤児の為のチャリティーソング「Keep on Breathing」を作ってくれました。(こちらで試聴・DLが出来ます→http://lenakatina.kroogi.com/en/download/1982293-Keep-on-Breathing.html) 

また、個人的な話になりますが、先日CM撮影時に会う事が出来た時も丁寧に対応してくれて、私は嬉しくて半泣きになってしまいました。その時に撮った写真は一生の宝物です。

【第2の魅力 意外とお茶目な言動!
真面目なタイプに見えるリェーナですが、その言動はかなりお茶目。例えばこちらは以前行われたインタビューでのコメント。

Question:あなたは学校で静かでしたか?またあなたの態度でDを取りましたか?

Lena:いいえ、私はDは取りませんでした。ですが、静かと言えませんでした。先生が話している時、私は詩を書いているか、他の子と話していました。私はいつも楽しんでいました。誰から試験の準備をし心配していると、私はこう言っていました。“悪い成績を取ったからって、何よ?世界が終るわけじゃないし。”

(「Channel Five インタビュー日本語訳」http://lenakatinajp.blog.fc2.com/tb.php/143-4e056137より引用)

この様なユーモア溢れたコメントは、ライブや公式サイトのメッセージ等でも見ることが出来ます。リェーナの人々を楽しませたいという想いに溢れた愉快なコメントは、いつもとても可愛らしいです。以前日本の歌番組「うたばん」に出演した際も、自由な言動でタカさん&中居くんをたじたじにさせていてとても面白かったのですが、映像が手元にないのが残念です……あの番組はとても良いものだったのですが。

第3の魅力 透き通る様な歌声!
リェーナの一番の魅力、それはなんといってもその透き通るように綺麗な歌声です。幼少期からロシアの有名な児童音楽グループに所属し磨かれた彼女の歌声は掛け値なしに素晴らしいです。ソロ活動ではいろいろな曲調にチャレンジしていて、毎回どんな歌声を聞かせてくれるのか楽しみにしています。
まあリェーナの歌声の魅力を知るにはやはり楽曲を紹介するのが一番だと思いますので、また動画を紹介しますね。
こちらはt.A.T.u.解散後初めてリリースしたソロシングル「Never Foget」です。

Lena Katina - Never Forget (Censored version ...

(どう見ても女神)
リェーナとユーリャが死んでしまったという驚きの冒頭で始まるこの作品はt.A.T.u.が彼女にとってどういう存在だったのかが余す事なく表現されている、t.A.T.u.解散について歌った楽曲です。リェーナにのt.A.T.u.に対する想い、そしてユーリャに対する想いが込められた作品で、私は見る度に泣きたくなってしまいます。リェーナの発する「I'll never forget you」というフレーズが強く耳に残ります。


【終わりに】
というわけで今回は大好きなt.A.T.u.のリェーナについて主に語ってみました。
と いうか本当はリェーナもユーリャも選べないくらい大好きだからマジ迷ってとりあえず2人分書いてみたんですけど、今回はリェーナを語ることにしてみました。機会があれば書き散らかしたユーリャの紹介も表に出したいものです。長いけど。あとt.A.T.u.のもっと色々な詳しい話、例えば名古屋のライブドタキャン事件日本のライブハウスが中止を要請したのにt.A.T.u.がドタキャンされたかの様に報道された事件)とかも語りたかったんですけど、流石に洒落にならない長さになってしまうので次の機会に語ります。というかここまで読んでる人いるのかなこれ……。

 


t.A.T.u. は日本でのCM撮影で再再結成?しましたが、継続して活動していくのかどうかははっきりしていません。私は2人がソロ活動をしたいならそちらに専念してほしいし、t.A.T.u.を続けたいのなら続けてほしい。2人の望む通りにしてくれればいいな、と思っています。

 
t.A.T.u.を好きになってからもう6年以上経ちました。
日本ではほとんど話題にならず忘れている方も多かったと思いますが、私はt.A.T.u.の事がずっと好きで、リェーナとユーリャのソロ活動も追い続けてきました。
もし私の記事がきっかけでリェーナの楽曲やユーリャの楽曲、そしてt.A.T.u.の楽曲を聞き直したり初めて聞く人がいてくれれば、私はそれだけで幸せです。

では明日12/11はtamaki_okiaさんのaiko語りが予定されておりますので、どうぞこれからもアドベントカレンダーをお楽しみください!aikoの歌詞好きなので楽しみです。


ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました!

 

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